(くもりときどき雨)隣人ボノボ
あいにくじゃが、まだ死んどらんよ。Δじゃ。
ここ十年ほど、市街地にボノボが移住してくるようになった。
アフリカで十分な教育を受けたボノボはもう人間社会に溶け込んでも
問題なかろうというのが2040年、国連の判断。
以後やつらは次々に田舎から都心部へ、アフリカから先進国へ
大移動しておる。日本でもそこかしこでボノボの集団移住が問題となっておる。
ボノボたちの生活はというと。戸籍を移し、住民票をとって、部屋を借り、
アルバイトをして日銭を稼いでおる。その辺りは外国人の出稼ぎとおんなじじゃ。
わしは今、老人向けのワンルームのアパートに住んどるんじゃが、
つい先日、隣にボノボが越してきた。
部屋でネットサーフィンをしとったところ、ノック(いまどきインターフォンじゃなくて
ノックじゃぞ!)されてなんじゃろと思い、開けたらそこにはボノボがおった。
雄じゃった。
ボノボはきーきーわめきながら妙な包みをわしに渡そうとしてきた。
わしは対応に困り、「うほほほっうほっ」と即興のボノボ語で会話をこころみた。
もちろん通じんかった。
それどころかボノボはばかにされたと思ったらしく、憤慨してすぐに去ってしまった。
「なんじゃ今のは」
あっけにとられつつ床をみると、やつがわしに渡そうとしていた包みがあった。
開けると、中には洗濯用洗剤と手紙が。
「となりにこしてきたボノ・タカギです。つまらないものですがどうぞ。」
......引越しのあいさつじゃ。
すぐさまわしは、腐りかけのバナナ一房をたずさえて部屋をとびでた。
隣の部屋に行き、インターフォンを鳴らす。そうすると案の定、さきのボノボが
扉の隙間からぬっと顔を突き出した。怒りの形相じゃった。
わしはやつに無言でバナナを渡した。
「......うほ」
どうやら意図が伝わったらしい。やつは納得のいった顔でうなずき、
親愛の情をこめてわしの手を握ってきおった。
握力は300kgほどじゃった。
血管がぶちぶちいったわ。
隣人とは仲良くしないといかんぞ。という話じゃ。
2050年04月21日
(晴れ)京都での思い出
Δじゃ。さすがに日記は無理じゃ。あきらめた。
先日予告した通り、京都での思い出話でも書こうかの。
2008年じゃったか9年じゃったか、Music Communicationなる
イベントに参加するためにわしは一人で京都に行った。一人でじゃ。
当時は新幹線という乗り物ができたばかりで、乗車代が異様に
高かったのじゃ。だから他の者に交通費を負担させるのも悪いと思い、
一人で行くことにしたのじゃ。
いまでもそうじゃが、京都は観光地としても栄えておる。
偶然、平安神宮近くに会場があったから、イベントが終わると
同時にわしは周辺の観光をすることにした。
そうはいうてもじゃな。
「そうだ、京都に行こう」(20世紀に流行ったキャッチコピー)でもあるまいし、
まじめな観光をする気もおきん。金閣寺や清水寺は修学旅行のときに観たし、
いまさら行くのもなんだかと思い、あてどもなく周辺をほっつきまわったのじゃ。
そうしたらすぐに京都大学が出てきて、運よく哲学の道、銀閣寺という
名所をめぐることができた。まずは哲学の道について書こうかのう。
「哲学の道」といえば、西田幾多郎か? 京都学派か?
それらの言葉すらうろおぼえという体たらくじゃが、哲学徒のはしくれとして
記念写真でも撮っておこうと思ったのじゃ。ところが、観光目的にきたおばさんが
「哲学の道」と書いてある石の前に陣取ってかわるがわる写真を撮ったので
あえなく断念してもうた。
正確には、知らないおばさんと哲学の道のツーショット写真を撮ったんじゃが、
こりゃあ誰得じゃと思いながらその場を後にしたのじゃった。ちなみに、
そのときのデータはまだ当時の携帯電話にのこっとるはずじゃ。
次なる観光地は銀閣寺。これが最悪じゃった。
入口まではそれなりに雰囲気もあって、名物らしい(たぶん嘘)にしんそばを
食べたりして調子づいておったんじゃが、入口の門をくぐるのに500円もとられて、
なおかつ中に入ったら銀閣寺が修理中ときたもんじゃ。
たしかに修理中とは書いてあったんじゃが、どのくらい修理中じゃろうと
逆に興味をひかれて入ってみたんじゃが、想像の斜め上をいく修理中じゃった。
地面にトンカチなどの大工道具が放置されててもおかしくないぐらいの勢いで、
改装中じゃった。
横でカップルが、空気を悪くしないように「これはこれで......おもむきが......」
などと苦し紛れの讃辞を述べておった。その後ろではおばさん集団が、
開口一番「かねかえせ」とのたまっておった。はげしく同意じゃ。
銀閣寺を出ると、わしは京都駅に戻ろうと市バスに乗った。
これも最悪じゃった。
いまでは博物館にしかない市バスなるものに乗ったら、
ぎゅうぎゅう詰めの挙句、道路が大渋滞しておったのじゃ。
歩いた方が早いくらいの距離を、信号でいちいち止まりながら、
バスはゆっくりと京都駅に向かっていった。ずっとたちっぱじゃ。
当時は優先席にも座れんかったのでなあ。
まあバスといえば、もっと昔はちんちんバスなる男性器を模したバスも
あったんじゃがなあ。このときのバスは、たしか普通のバスじゃ。
普通のバスは女性器の形をしておるんじゃがな。まあ、興味があれば
博物館にでもいってみてくるとよい。
ええと、なんの話じゃったかな。京都旅行の話じゃったか。
はて、なんで京都に行ったんじゃったか。
まあよい。ではまた会おう。しーや。
2050年04月10日
(雨)京都と地球温暖化
随分と陽気な日が続きますな、Δじゃ。
世間はエイプリルフールじゃが、このぶろぐは存在自体が
エイプリルフールのようなもんじゃから普段通り書こうかの。
日記と銘打ってるにもかかわらず2,3日空いてしまったな。
この歳にして三日坊主という言葉を体現してしまって、恥ずかしい限りじゃ。
頭の方もすっかり坊主になってしまったし、冗談ではすまされんな。
「今度こそ本気だす」
そんなことを言い続けてもう70年近くになるが、いったいいつわしは
本気がだせるんじゃろうか。あと30年ほど経ったら本気出そうかのう。
さて、先日書いた『ちきゅうおんだんか0円です』というCDじゃが、
そういえば地球温暖化という言葉の由来にふれるのを忘れておった。
地球温暖化という言葉も、もう数十年聞いておらんな。
21世紀初頭ごろじゃったか、化石燃料の消費に伴って二酸化炭素が
排出されることで、地球温暖化現象というのが起こるとされておった。
地球温暖化が起こると北極の氷が溶けるとか、それで海面が上昇して
一部地域が水没するとか騒がれておった。地球規模の問題じゃから
各国の長が集まって会議をして、どのようにこの危機を乗り越えるのか
喧々囂々討論しておった。
まあ、その結果どうなったかは皆さんもうよくしるところじゃ。
それはそうと、なぜわしがこの地球温暖化をCDのタイトルにしたか
というとじゃな。CDを京都のイベントで発表するからじゃった。
「京都 → 京都議定書 → 地球温暖化」
という連想じゃな。
無論TOPページにアップしてあるジャケットをみてもらえばわかる通り、
そりゃ表向きの理由にすぎん。
お気づきかな、このジャケットが「サーモグラフィ」のようになっておるのを。
そして股間に「ホッカイロ」が貼り付けられており、温かくなっておるのを。
地球温暖化ならぬ「恥丘」温暖化というわけじゃ。呆れるほど下品じゃが、
当時のわしはこんな幼稚な言葉遊びでよろこんでおったらしい。
長々とそんな昔話を書いておったら、このCDを京都で発表したときのことを
だんだん思い出してきおった。
次回は、その京都での出来事でも語ろうかの。
さらばじゃ。
2050年04月01日