(晴れ)京都での思い出

Δじゃ。さすがに日記は無理じゃ。あきらめた。

 

先日予告した通り、京都での思い出話でも書こうかの。

 

2008年じゃったか9年じゃったか、Music Communicationなる

イベントに参加するためにわしは一人で京都に行った。一人でじゃ。

当時は新幹線という乗り物ができたばかりで、乗車代が異様に

高かったのじゃ。だから他の者に交通費を負担させるのも悪いと思い、

一人で行くことにしたのじゃ。

 

いまでもそうじゃが、京都は観光地としても栄えておる。

偶然、平安神宮近くに会場があったから、イベントが終わると

同時にわしは周辺の観光をすることにした。

 

そうはいうてもじゃな。

 

「そうだ、京都に行こう」(20世紀に流行ったキャッチコピー)でもあるまいし、

まじめな観光をする気もおきん。金閣寺や清水寺は修学旅行のときに観たし、

いまさら行くのもなんだかと思い、あてどもなく周辺をほっつきまわったのじゃ。

 

そうしたらすぐに京都大学が出てきて、運よく哲学の道、銀閣寺という

名所をめぐることができた。まずは哲学の道について書こうかのう。

 

 「哲学の道」といえば、西田幾多郎か? 京都学派か?

 

それらの言葉すらうろおぼえという体たらくじゃが、哲学徒のはしくれとして

記念写真でも撮っておこうと思ったのじゃ。ところが、観光目的にきたおばさんが

「哲学の道」と書いてある石の前に陣取ってかわるがわる写真を撮ったので

あえなく断念してもうた。

 

正確には、知らないおばさんと哲学の道のツーショット写真を撮ったんじゃが、

こりゃあ誰得じゃと思いながらその場を後にしたのじゃった。ちなみに、

そのときのデータはまだ当時の携帯電話にのこっとるはずじゃ。

 

次なる観光地は銀閣寺。これが最悪じゃった。

 

入口まではそれなりに雰囲気もあって、名物らしい(たぶん嘘)にしんそばを

食べたりして調子づいておったんじゃが、入口の門をくぐるのに500円もとられて、

なおかつ中に入ったら銀閣寺が修理中ときたもんじゃ。

 

たしかに修理中とは書いてあったんじゃが、どのくらい修理中じゃろうと

逆に興味をひかれて入ってみたんじゃが、想像の斜め上をいく修理中じゃった。

地面にトンカチなどの大工道具が放置されててもおかしくないぐらいの勢いで、

改装中じゃった。

 

横でカップルが、空気を悪くしないように「これはこれで......おもむきが......」

などと苦し紛れの讃辞を述べておった。その後ろではおばさん集団が、

開口一番「かねかえせ」とのたまっておった。はげしく同意じゃ。

 

銀閣寺を出ると、わしは京都駅に戻ろうと市バスに乗った。

これも最悪じゃった。

 

いまでは博物館にしかない市バスなるものに乗ったら、

ぎゅうぎゅう詰めの挙句、道路が大渋滞しておったのじゃ。

 

歩いた方が早いくらいの距離を、信号でいちいち止まりながら、

バスはゆっくりと京都駅に向かっていった。ずっとたちっぱじゃ。

当時は優先席にも座れんかったのでなあ。

 

まあバスといえば、もっと昔はちんちんバスなる男性器を模したバスも

あったんじゃがなあ。このときのバスは、たしか普通のバスじゃ。

普通のバスは女性器の形をしておるんじゃがな。まあ、興味があれば

博物館にでもいってみてくるとよい。

 

 ええと、なんの話じゃったかな。京都旅行の話じゃったか。

 

はて、なんで京都に行ったんじゃったか。

 

まあよい。ではまた会おう。しーや。