Δじゃ。
ロックンロールは70年間で滅んだ、とよくいわれる。
1954年に生まれたとされるロックンロールという文化は、
そこいらの人間と同じように、たかだか70年の寿命しかなかった。
1954-2024年までの70年間で、ロックとよばれる大衆音楽の
一ジャンルは文化的な影響力のほとんどを失ったのだと。
もちろん今日でもロックバンドというのは存在するが、
そりゃ膨大な音楽市場のごく一部を占めるにすぎん。
2050年。日本の学校では、ロックをやるような軽音部
という部活動は茶道部辺りのライバルとされておる。
どこもかしこも部員不足に苦しんでおる。
今日びロックが好きなんて言おうもんなら即座に変わり者の
烙印を押されることになるじゃろう。
しかしわしの若い頃は、そんなもんじゃなかったんじゃ。
ロックというのはもっと強靭で壮大な、かっこいい文化じゃったんじゃ。
随分と古い記事じゃが、この頃から本当の意味でロックが衰退しはじめている
のがわかるじゃろう。一見すると、60年代から活躍するロックミュージシャン
ボブ・ディラン(ただし彼はフォークからの転向組)が、2009年に再びシーンに
返り咲いたかのような記事じゃが。
これが示す事実は、新しいロックへの世間の注目が衰えてきている
ということじゃ。
先日話題に上げた『ぼくはツヨシを待っている。全裸で。』を
聴いておると、そんな悲しい歴史を思い出さざるをえんかった。
当時、わしはM3というイベントに毎回参加しておった。
「同人音楽の世界にロックを広めよう」などという、分不相応な
青臭い野望を抱いておったのだ。何回か作品をだしていくうちに、
自らの実力不足や現実の厳しさに気づき、そんな野望は
潰えていったのじゃが。
このCDにはまだまだそんな野望がぎっちりつまっておる。
空回りしたまま、曲の随所に見え隠れしておる。
今聴くと、なんとも切ない気分になるのう。
なんともはや。
このM3での出来事は、すぐに頒布終了してしもうたこと以外は
あんまり覚えておらん。蒲田にあるPioという会場で開催されておった
ことだけは覚えておるが。
会場の雰囲気も、あんまり思い出せんな。たしか、あそこでは
「ぷにケット」なんかも開かれておったんで、そちらのイベントでの
思い出ならたくさんあるんじゃがな。
ぷにケとか略しておったな。
まあよい。
ロックの歴史については、今後もちょくちょく語っていこうかのう。