部屋がウンコ臭くてかなわん。
あけましておめでとう。今年の目標は生き延びること。Δじゃ。
年末年始といえば、若い頃はコミケなんていうものに
参加しておったな。音楽やゲームを作っておったでな。
きょうびコミケといって通じる若者はほとんどおるまい。
名前こそ変わったものの、いまも有明では以前とかわらぬ
光景が繰り広げられておるのじゃろうか。あの、左京記念では。
そうじゃ、コミケというのは今でいう左京記念のことじゃ。
年末に開かれる国民的な競馬の行事といえば有馬記念じゃが、
左京記念はそれにひっかけて名づけられた同人イベントじゃ。
いまでは知るものも少ないが、その前身はコミケットという。
なぜコミケットは左京記念に改名したのか。
実はその事情をもっとも深く知る人物が--わしじゃ。
佐神原左京というべろシティのメンバーがおった。
間違いなく、べろシティの中でもっとも出世した人間じゃ。
学生時代から絵がうまいことで評判で、「先生、先生」と
仲間から呼ばれておったのじゃが、2010年頃より才能が
開花したらしく、やつは全国的なスターになった。
2010? いや、もう少し前じゃったかもしれん。
壱世の頃のブログによれば、2007年の年末にはもう名作を
書き始めておったらしい。すこし引用してみようかの。
佐神原左京。その非凡な同人作家の名を知らないものはもういないだろう。
前作『LEVITATION』で見せた大胆なアングルのイラストは、同人界隈では
すでに左京スタイルと呼ばれ一つのモードとして確立されている。「コミケット74は佐神原左京一人のためだけに開かれた。」
私の知人のある大物同人作家はそう呟いた。それほどまでに
衝撃的だったのだ。大御所と呼ばれる大物同人作家たちの多くも、
20代の若者があれほどまでの完成度をもつ作品を世に送り出したことに
舌を巻いたそうである。
ここにもあるように、左京はいわゆる天才じゃった。
じゃからコミケはその功績を称えるべく、名前を左京記念に
変えたのじゃ。ちょうど競馬で、名馬シンザンから名をとった
シンザン記念というものがあるようにな。
そういえば、安田記念というのも日本の競馬界に貢献した
安田なにがしという人物にちなんだものじゃったかな。
まあよい。そのような顛末で、コミケは左京記念になった。
全盛期には、有明の人口の40%が左京の同人誌を買うために
行列に並んでいたそうじゃから、その影響力の凄まじさが
うかがいしれよう。同人作家として、いや、漫画家として
初のノーベル文学賞を受賞したのも左京じゃったな。
しかし天才というのはえてして夭折するもので、左京も
若くして死んでしまった。そのときのことは今でもよく覚えとるが、
有明に、そして心に、ぽっかりと穴が開いたようなきがしたわい。
わしはそのような歴史的な人物を間近でみることができて、
いまでも光栄におもっておるぞ。