(晴れ)ENcoの公開を受けて

Δじゃ。半年ぶりじゃが、お元気かな。

わしは持病が悪化して、しばらく入院しておったわ。狭心症で、バイパス手術というのを受けたんじゃが、これでしばらくは生きながらえそうじゃ。たまには昔話じゃなく、2050年現在のことを語ろうかの。

実は昨日、わしらべろシティが原案をつくった映画『ENco』が公開された。これは2010年代にわしらが小説として発表したもので(初出がどこじゃったかは覚えとらんが)、当時はコメディタッチのSF作品という扱いを受けておった。「ヤクザが宇宙を飛び回って抗争するSF任侠もの、なんて荒唐無稽な」などとわしらは喜んでおった。

ところがどうじゃ。今となっては、これはSFでもなんでもないのう。

諸君らも存じておろうが、つい先日、「暴力団着陸お断り」の看板をだした小惑星が、星ごと爆破された。太陽系警察の指示にしたがって看板を出しておっただけなのに、マフィアの怒りをかい、見せしめとして殺されたわけじゃ。現時点で、惑星民130名全員が行方不明になっているそうじゃ。おそらく、生存者はおるまい。

なんとも痛ましい事件じゃ。亡くなった惑星民の方々に深い哀悼の意をささげるとともに、今後、マフィアの暴力にはけっして屈しないことをあらためて心に刻んだわい。皆もそうじゃろう。

そこで、じゃが。この件を受けて、世論はより一層の暴力団の排除に動くじゃろうか。事はそう単純でもないんじゃな。

惑星民からすれば、警察が守ってくれない以上、今後とも「暴力団着陸お断り」の看板を出し続けるのことは、それ相応のリスクを背負うことになる。仕方なしに看板をはずす小惑星もたくさん出てくることじゃろう。これでは星を破壊した連中の狙い通りになってしまうが、そうはいっても、どうすることもできん。自分等の生命が脅かされているんじゃからな。

21世紀なかばになってもなお、わしら人類は民間暴力組織におびえながら生きとるわけじゃ。世知辛いのう。

最後に、映画『ENco』のあらすじをコピーしておこうかの。さ今の科学技術をもってしても、さすがにペルセウスまでは行くことはできん。が、しかし他の点では、まるで未来を予見しておったかのような文章じゃのう。

 重力の枷から解き放たれてもなお、人類は闇社会と縁を切ることができなかった。二十一世紀中葉、日本から月面への集団移民(ファミリー)の一つ、柄炉市一家。彼らは月の縄張りをめぐる、キューバ系マフィアのカストロファミリーとの激しい抗争の末、勝利する。手打ちの結果、月の裏側に広大な縄張り(シマ)と収入源(シノギ)を得た柄炉市一家は、カストロファミリーを傘下に加え、組員500を数える大組織となった。
 順風満帆に思えた柄炉市一家は、月面進出を記念して盆を開く。そこに現れた一人の流れ者――カベコ・ウキの放ったレーザーチャカにより、三代目柄炉市一家総長が重症を負ってしまう。彼女は銀河系極道組織(ギャラクシアン・マフィア)の統一を目論むペルセウス腕連合会が送り込んだ鉄砲玉であった。
 総長の用心棒を務めていた柄炉市一家若衆の出太は、総長の盾になれなかったことへのけじめとして自身のENcoを詰め、その直後行方不明となる。総長の仇をとるために、単身、銀河鉄道に乗りペルセウスを目指していたのだ。天の川随一といわれる巨大暴力組織を相手に、出太は懐に忍ばせた道具――量子ドス一本でカチコミをかける腹づもりであった。
 一方、月では柄炉市一家が若頭の贋辰刃の意向により、ペルセウス腕連合との全面対決姿勢を決めていた。広大な銀河を舞台に、柄炉市一家500対ペルセウス腕連合500億の戦いが、今はじまる。

(雨)フォーラムの思い出

Δじゃ。

M3というイベントのことは、いつぞや話したかと思う。

ある時期よりわしは、このイベントでCDを手売りするだけなのに
退屈しはじめておった。毎度毎度、ブヒブヒ鳴いておるキモオタに
餌付けをするかのように、CDを配っていくだけじゃ。トキメキがない。

そんな折、フリースペースなるものが追加された。フリースペースは
ただCDを売るのみならず、ほかになんらかのパフォーマンスを
行ってもよいという場じゃ。わしはまっさきに飛びついた。

念願の自由の場じゃ。ようやくルーチンワークともおさらばじゃ。

じゃが、いまいち何をしたらよいものかわからんかった。

そこでべろシティフォーラムというのものを開いて、オンラインで
フリースペースで何をするかを公開討論で決めていくことに
したのじゃ。

そのフォーラムでは、わしは書記長だったか総書記だったかを
任されとった。いわずともわかるじゃろうが、実質の独裁者じゃな。

ところが、経済の自由化を進める声には、西側からの圧力には、
平たくいうなら、時の流れには勝てん。歴史は繰り返した。

つまるところ、べろシティでも暴動が起きたのじゃ。

一部の血気盛んな若者により、わしの革命政権、独裁政権は
あえなく打倒されてしまったのじゃ。

そこで、M3当日は、当初予定されておったパフォーマンスとは
まったくの別物になってしもうた。

その結果、べろシティは、「弐世」を終わらすこととなる、歴史に残る
大失態をおかすわけじゃが、それについてはまた今度語ろうかのう。

(くもり)The EP

Δじゃ。随分とご無沙汰じゃな。

年末らしく大掃除をしておったら、懐かしい本がでてきおった。
佐神原左京が2010年の冬コミに発表した『The EP』じゃ。

奥付によれば「2030年 第175版 発行」とあるから
おそらく20年前に買ったものじゃろう。巻末にのっていた
解説がなかなかおもしろかったのでちょっと引用して
みようかのう。


The EP / FRANKENSTEINER


「偉人には三種ある。生まれたときから偉大な人、努力して偉大に
なった人、偉大な人間になることを強いられた人だ」。

シェークスピアの言葉である。現代日本に生きる最高の偉人、
佐神原左京はこのうちのどれに当てはまるのだろうか。

私は、時代が左京に強いたのだと思う。日本が一人の若者に託した
のだと思う。この閉塞的な社会の中で、一筋の光となることを。
時代の寵児たらんことを。

21世紀の日本は、20世紀ほど多くの偉人を生むことはないだろう。
科学者や政治家もそうだが、こと芸術家に関しては。

2010年当時、日本全土に長引く不況からか未来に薄暗いイメージが
覆っており、本来想像力をもつはずの若者さえもあくせくと働くか、
あるいは働くための努力(就労準備)をするかで手いっぱいの状況だった。

若者の想像力が貧しくなると、必然的に文化も衰退する。似通った作品、
大同小異のメッセージのみがパッケージ化されて店頭に並び、その
つまらなさに絶望した優秀な者から順にそれを見捨てていった。

そんな文化の終焉を感じさせる21世紀初頭、まさにどん底から
強い意志をもつ一人の若者が同人誌を描き始めた。佐神原左京である。
言わずと知れた00年代の最高傑作、『LEVITATION』で見せた大胆な
アングル(空白の見せ方)は同人界にセンセーションを巻き起こした。

とはいえ、その時点ではまだ同人という狭い共同体の中での熱狂に
すぎなかった。当時、同人に関心のない中高年は、まだ左京という
天才の出現に気づいてはいなかったのだ。

多くの識者が指摘するように、本作『The EP』の発表とともに
この状況は一変する。

『The EP』、10年代に入った最初の年の冬に描き残された、歴史的傑作。
大人から子どもまで、南アフリカからアイスランドまで、どの世代、
どの環境で育った人間が読んでも楽しめるこの掌編により、彼の名は
伝説となった。

時の教皇ベネディクト16世は、この同人誌に対し、「バイブルの次に
重要な書物である」という彼なりの最大限の賛辞をおくった。
ところが、この発言がおもわぬ波紋を呼ぶことになった。

これを受けた世界中の左京ファンは、「『The EP』は聖書とは
比べ物にならないくらい素晴らしいものだ」として反発し、
100万人規模のデモ行進を行った。この騒動は「第一次左京デモ」
として現行の歴史教科書にも紹介されている事実である。

この本を手にとったあなたが、それらの歴史をどこまで深く
知っているかはしらない。ただ、本作は現代に生きるすべての
人間が触れておくべきマスターピースであることだけは確かだ。

21世紀。左京の時代に生きるあなたにとって、この作品は
特別な意味をもつことになる。同時代に生まれた数少ない偉人が
放った歴史的傑作を、どのように受け止めるかはあなたの自由だ。

願わくば、あなたが左京の時代を終わらせる新たな偉人と
ならんことを。

そういえば、こんな時代もあったのう。


(晴れときどき曇り)白い涙

Δじゃ。若かりし頃は音楽をやっておった。
作詞作曲編曲をすべて一人でこなしておった。

今日は久しぶりにポエムを書いてみたのじゃが、
いかがじゃろうか。いまでも即戦力じゃろうか。

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白い涙

切なすぎることばかり起きて
もうどこかはちきれそう
そんなとき

僕の尿道から白い涙が
どうしてだろう白い涙が
次から次に白い涙が

切なすぎる心が晴れて
気分はすっきり
賢者みたい

白い涙は
ティッシュにくるんだ

さて寝るか
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わしは物知り。精通に精通しておる、なんちって。 

(晴れ)宇宙を省みる、夏

Δじゃ。おどろくことにまだ存命じゃ。

今日はとあるSF小説の一節からはじめようかの。

「歴史上のその一時期を通じて二十世紀の置き土産だったイデオロギーや民族主義に根ざす緊張は科学技術の進歩によってもたらされた、全世界的な豊饒と出生率の低下によって霧消した。古来歴史を揺るがせていた対立と不信は民族、国家、党は、信教等が渾然と融和して巨大な、均一な地球社会が形成されるにつれて影をひそめた。(中略)軍備放棄はすでに全世界の合意に達していた。」

――ジェイムズ・P・ホーガン『星を継ぐもの』

 なんとも無駄に漢字の多い文章じゃが、ようするにこのSF小説の中では、科学技術が発達したので戦争とかなくなってハッピーになりましたということになっとるんじゃ。

現実はそう甘くなかった。

いや、甘いとか辛いという話じゃないわな。結局、科学技術がどうたらとか、豊饒とここで書かれとるような物質的な豊かさと、民族紛争や戦争とはほとんど関係なかったんじゃろう。もし紛争や戦争を減らしたいなら、そんな豊かさなどとは別種の抑止が必要になる。

常識じゃな。

これは1977年に書かれた小説じゃが、思えば、21世紀には宇宙に行ったもん勝ちみたいな風潮があったもんじゃ。冷戦時代、ソ連とアメリカが宇宙開発競争で擬似的に戦争を行っておった。わしはその頃まだ生まれておらんかったが、なんとなくその時代の空気は覚えとる。

21世紀に入ると、人類の宇宙への熱は急速に冷めていった。細々と宇宙開発は続けられていったし、宇宙旅行も珍しくはなくなったが、多くの人はそれが海外旅行よりもコストパフォーマンスの悪いレクリエーションじゃと気付いた。無重力は3日で飽きる。宇宙ではまともなビジネスが栄えず、唯一そこそこの市場規模になったのは風俗業じゃった。

つい10年ほど前までは、わしもそんな光景を当たり前のように考えとった。しかしふとしたきっかけで、押入れの奥に眠る古びたSF小説を読んだとき、思ったのじゃ。誰も宇宙を省みなくなった今こそ、わしらは宇宙に身を乗り出すべきじゃなかろうかと。

そこで「べろシティ五世」じゃ。

閉ざされた炭鉱の町のようにがらんどうになった宇宙ステーションを舞台に、一大ビジネスを起こしてやろうと思い立ったわけじゃ。大方の予想通り、その挑戦は失敗に終わったわけじゃが。まあその細かい内容についてはおいおい書いていくとしようかの。

今日はもう疲れた。

そもそも、ほめぱげを更新するのも久方ぶりじゃ。

まあもともと悪かった腰が悪化して、しばらく病院で寝とったでな。しょうがなかったんじゃ。60過ぎてからこっち、体の節々が痛む。老いとは辛いもんじゃのう。

じゃあのう。

(くもりときどき雨)隣人ボノボ

あいにくじゃが、まだ死んどらんよ。Δじゃ。

 

ここ十年ほど、市街地にボノボが移住してくるようになった。

アフリカで十分な教育を受けたボノボはもう人間社会に溶け込んでも

問題なかろうというのが2040年、国連の判断。

 

以後やつらは次々に田舎から都心部へ、アフリカから先進国へ

大移動しておる。日本でもそこかしこでボノボの集団移住が問題となっておる。

 

ボノボたちの生活はというと。戸籍を移し、住民票をとって、部屋を借り、

アルバイトをして日銭を稼いでおる。その辺りは外国人の出稼ぎとおんなじじゃ。

 

わしは今、老人向けのワンルームのアパートに住んどるんじゃが、

つい先日、隣にボノボが越してきた。

 

部屋でネットサーフィンをしとったところ、ノック(いまどきインターフォンじゃなくて

ノックじゃぞ!)されてなんじゃろと思い、開けたらそこにはボノボがおった。

 

雄じゃった。

 

ボノボはきーきーわめきながら妙な包みをわしに渡そうとしてきた。

わしは対応に困り、「うほほほっうほっ」と即興のボノボ語で会話をこころみた。

もちろん通じんかった。

 

それどころかボノボはばかにされたと思ったらしく、憤慨してすぐに去ってしまった。

 

「なんじゃ今のは」

 

あっけにとられつつ床をみると、やつがわしに渡そうとしていた包みがあった。

開けると、中には洗濯用洗剤と手紙が。

 

「となりにこしてきたボノ・タカギです。つまらないものですがどうぞ。」

 

......引越しのあいさつじゃ。

 

すぐさまわしは、腐りかけのバナナ一房をたずさえて部屋をとびでた。

隣の部屋に行き、インターフォンを鳴らす。そうすると案の定、さきのボノボが

扉の隙間からぬっと顔を突き出した。怒りの形相じゃった。

 

わしはやつに無言でバナナを渡した。

 

「......うほ」

 

どうやら意図が伝わったらしい。やつは納得のいった顔でうなずき、

親愛の情をこめてわしの手を握ってきおった。

 

握力は300kgほどじゃった。

 

血管がぶちぶちいったわ。

 

隣人とは仲良くしないといかんぞ。という話じゃ。

(曇り) LA VIDA MATA!のPVをば

おはようございます。Δじゃ。

 

そういえば「べろシティ弐世」の頃はニコニコ動画なんてのが

流行っておった。素人が動画を投稿するサイトじゃ。

 

わしも他人の曲をカバーして、音楽をそこに投稿したことがあった。

探したらなんとまだ残っておった。

 

【ニコニコ動画】【ミク曲】「LA VIDA MATA !」をカバーしてみた【生声カバー】

 

わしもこんな風に精力的に音楽を発表していた時期もあったのじゃなあ。

今はこんな曲、うるさいだけでどこがいいのかさっぱりわからんが。

 

まあ、俗にいう若気の至りというやつじゃな。

(雨) 日記をはじめるにあたって

春寒の候、いかがお過ごしかな。Δじゃ。

Δは「デルタ」と読む。近所の爺さん婆さんには「でる爺」と 呼ばれておるので、そう呼んでいただいても構わん。

今日よりこのような日記を書き始めることにした。 きっかけは、今朝見た懐かしい夢だ。

あれはいつ頃のことじゃったろうか。

かつて、ホームページとかウェブサイトと呼ばれているものがあった。 今とは違い、インターネットはまだディスプレイの前に座って行うもの じゃった。

若者はホームページを「ほめぱげ」と呼び、仲間同士の連帯感を 高めるために使っておった。「みくしい」とか「もばげー」というところでは 一日に何十万もの人間が集まっておった。

ある種の人々は、そのホームページで自分らの主張や、趣味や、作品などを 発表しておった。わしも例外ではなかった。

今ではわし一人になってしまった「べろシティ」も、その頃には たくさんの人間が参加しておった。ホームページでは、わしらの作品を 発表するだけじゃなく、交代で日記をしたためるなどしておった。

ああ、懐かしいものだ。

最初は……最初はそう、ゲームサークルから始まったのじゃ。

柊桂――奴はいまネオ網走に服役中だが――がシナリオを書いて、 『鬼隠しだよ! ドクロちゃん』というノベルゲームを作った。

すでに死んでしまった左京ちゅもその頃には存命で、 絵を描いたりプログラムを作ってくれていた。

わしらは次に『Plumage Cafe』というノベルゲームを作った。 これには処女作より多くの人間にかかわってもらうことになった。 コムギ嬢――当時はまだお嬢さんだったのだ――がこのとき、 「べろシティ」に加わることになった。

そして、その後は……。ゲーム以外のことに手を出し始めた。

かつての縁で、柏唄嬢――当時はまだ(ry――と『Questionnaires』 という音楽CDを作ったのじゃった。今はもうないが、当時はまだ コミケやM3という即売会があって、そこで手売りしておったのだ。

そして、

その作品を最後に、「べろシティ壱世」は幕を閉じることになった。

今思えば、あの頃が一番楽しかったのかもしれん。 当時は何もかも新鮮じゃった。わしらは生気に溢れており、一致団結し、 修羅場といって友人宅で徹夜で作業に打ち込んだものだ。

残念なことに、そういう若さは、もうその後には見られなかった。

それからは「べろシティ弐世」の活動に移る。わし一人で 音楽を作り続け、発表するだけの、退屈な活動期間に移る。 現在の「べろシティ六世」に至るまでの長い過程の中で、 もっとも刺激のない期間だったといえるじゃろう。

ただ、それがどんな活動だったはわしは覚えておらんし、 またそのときの正確な記録はこの地球上、いや太陽系上の どこにも残されておらんだろう。

「弐世」は「壱世」とは違い、ブログという形でホームページに 活動の記録を残さなかったからじゃ。

だからこれから、わしは思い出していこうと思う。

「べろシティ弐世」の頃、わしがいったいどんな活動を しておったか、正確に。

それは2050年の今、「べろシティ六世」をやっているわしにとって、 ちょうどいいボケ防止にもなろう。

P.S. 「べろシティ壱世」の頃のブログ――ホームページ上の日記を ブログという――が見つかったから、これ以前に転載しておく。 記録によれば、2005年の夏から本格的に作品を発表しだしたそうな。